◆デジタルデータを一瞬で失うことの恐怖
久しぶりにはてなブログを開いて編集して、久しぶりに購読ブログ一覧をのぞいてみたら、春まで慣れ親しんでいたたくさんのブログが元気に更新を続けていて、懐かしいような、うれしいような気持ちになりました。
そんななかで目にとまったのが、いつも難しいことをわかりやすい文章で説明してくださっているorangeitemsさんのこの記事。
デジタルデータを一瞬で失うことの恐怖。
いったい、どれくらいのひとが遭遇しているのでしょうね…
この記事を拝見しながら、これまでの自分の経験を思い返してみました。
その1:大昔の話
翌日納品の仕事をまとめているときに突然PCが動かなくなり…というか処理が異常に遅くなる。いつもなら一瞬で終わるはずの処理が数時間たっても終わらない。データを取り出すことさえ難しく、クライアントに事情を話して納品を1日延期してもらい、日本橋に走って(懐)iBookを買ってお持ち帰り、部分的に持っていたバックアップデータをかき集めて記憶を頼って作り直して納品した思い出。
以来、重要なデータはHD2台体制でバックアップをとっています。
その2:数年前の話
二重にとっていたバックアップデータのうちのひとつが突然壊れる。二重にとっていたので冷静に現実を受け入れる。でも、突然やってくるデータ消滅に、なんだか誰も信用できないんだ、みたいな気持ちが残る。
「私はなにも悪いことはしてないよー!(泣)」
その3:少し前の話
利用していたCATV会社のWEBサイトサービスがなくなったことに、なくなった後で気付く。メールが届いていたようだったけれど見逃していた。仕事用ではあったけれどあまり更新していなかったし、それほど重要ではなかった(だから気付かなかったというのもある)。しかし名刺にも載せていたURLが知らない間に消滅していたというかっこ悪さ。CATV会社がある限り絶対になくならないと思っていたのに。
今回のYahoo!ジオシティーズ閉鎖と似たケースですね。
やや最近の話
夫の仕事の重要なデータを入れていた外付けHDが物理エラーを起こす。夫は大量のデータを扱うので、万一に備えて常に2台の外付けHDに同じデータを保存しているのだけれど、この時はちょうど新しいHDを使い始めたときで、たまたま家に新しいもののストックが1台しかなく、もう1台の手配をしながら先に使いはじめていた、その2日めに起きたトラブル。初期不良ですよね。 そんな時に限って特別重要なデータだった。レスキューに問い合わせてみるも見積もりは10万超え(それでも全て復旧できるかはやってみないとわからない、という)。
うちは個人事業主なので、こういうトラブルに遭遇すると夫婦でなんとかしないといけない。時間もとられるし、精神的にもぐったりです。
・・・思い出に残っているトラブルはこれくらいなのですが、ひやっとしたデータ消滅トラブルはこれ以外にもあって。なので私はPCもHDも(スマホも)、あまり信じていないのです。
時々いつもと違う動きをするときには本当にひやっとします…。
常にドキドキしながら日々を送っているといっても過言ではありません。
◆そうか、クラウドだって追跡してみたらどこかのHDにおさめられているんだ。
最近ようやくクラウドという仕組みに慣れ、クラウドに預けておけばデータは安心、みたいな気持ちになりつつあったのです。
地震や台風が多い昨今、たとえば家が被害にあっても、世界のどこかにあって誰かがしっかり管理してくれている私のクラウドデータは安全なはず…
じゃあ重要なデータはクラウドに入れておけば、地球が滅亡しないかぎり大丈夫なんじゃなーい?
(地球が滅亡したらデータもいらない。。)
が、今回の記事を読んでいて
「ああ、ずーーーっと安心ではないんだな」
ということを実感しました。
クラウドデータも、保存先はどこかにあるハードディスク。
プロが管理しているとはいえ、なにもないとはいえない。サービス終了だってありえる。
「サービス終了までに各自でデータを移してください、その際こういう形式のデータはこうなりましてデータ量が多い場合はこうなりまして移すときにトラブルがあるかもしれませんけどごめんなさい」
みたいなことを言われてあわわわ…なんてこともあるわけですよね。
はーーーー。
このように、運営者の懐とビジネス状況によって、インターネット上にあるデータなど急に無くなってしまうということを皆が知る必要があります。率直に言って、データの寿命は世の中が思っているほど長くはありません。
引用元:インターネットサービスにおけるデジタルデータの寿命は思いのほか短いのではなかろうか - orangeitems’s diary
◆ところで、私にそれほど大事なデータはどれくらいあるのだろうか
仕事のデータは別として、プライベートなデータで量が多いものといえば、写真ですね。
もう、メモのように撮って、見返すことなく保存だけしている写真がたくさんあります。
ありすぎて、選んでいいものだけ残すという作業もできないくらい。
私が死んだらgoogleフォトもどこかに宙ぶらりんになって、そして消滅するんだろうなぁ。
日常を撮った写真。
こどもを、家族を撮った写真。
どれも大事な瞬間を切り撮っているはずが、見返すことすらあまりしていない。
見返すのが(多すぎて)面倒だ、時間がないという状態。
これって、本末転倒ですよねぇ。
やっぱり、データってアナログな形にしておくことに意味がある、という場合もあるんじゃないかな。
そんなことをしみじみ思いました。
アルバムにまとめたり、フォトブックなどにしておけば、黄変しようがカビが生えようが、そこにある。開けば切り撮った大事な瞬間が蘇る。
置き場所次第で、誰にでも見ることができる。
処分したいなら決定権を持つひとが意志をもって消滅させることができる。ある日突然のアクシデントでなくなってしまう、ということの確率は、デジタルデータより低いのではないか。
大事なデータは、
デジタルで2か所プラスアナログで?
それだけのことをする価値のある個人的なデータって、なんだろうなあ。
こどもの写真。就学前までものはフォトブックにまとめてあるのだけれど、その後6年分があちこちのHDやクラウドに散乱(汗)
大事な写真は急いでアナログにしておかなければ!