2020/01/16 防災の常識はどんどん変わります。内容を見直しました。
◆記憶は薄れるけれど、忘れることのできない1.17
2019年1月17日で阪神・淡路大震災から24年がたちました。
もう24年もたつんだなぁ…。日頃はほとんど忘れているけれど、1月17日が近づいたり、地震のニュースを見たり、揺れを感じたりするとあの日の出来事が鮮明に思い出されます。
私もほんの少し被災したひとりです。
夜明け前、遠くからジェットコースターがやってきたような揺れ、今でも鮮明に思い出すことができます。
当時の実家は壁に亀裂が入った程度で半壊認定もされないレベルの被害。身内に命を落としたり、ケガをしたり、家を失ったりした人はいませんが、かつての同級生がひとり命を奪われ、その夏には追悼の同窓会が開かれました。
私の弟も、何名かの仲間が命を落としたようです。あまり多くを語りませんので未だに詳しくは知りません。
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当時報道されていたのは被害のひどかった場所や人で、我が家の被災はそれらに比べると大したものではありませんでした。でも、家族にとってはものすごく大きな出来事で、その後の1〜2ヶ月は不自由な暮らしをしていました。
「私、この先もう、どんなことがあっても生きていけるかもしれない」
震災の翌日、ガス漏れの臭いのする道を歩きながら、そんなふうに思ったことを覚えています。(いやいやそんなことはない、ということもその後知りましたが…)
◆阪神・淡路大震災の経験が影響している、私の生活習慣
冒頭に書いたとおり、日頃はもうほとんど当時のことは忘れていて、ちょっと緩みすぎ?備えが甘すぎではと思うことも多々。でも、明らかに当時の経験が影響しているなぁと思う生活の「こだわり」みたいなものがあります。それをまとめてみることにしました。
浴槽の水を抜かない
実家ではお風呂の残り湯を翌朝の洗濯に使う習慣がありました。この残り湯が断水後、ものすごく役に立ちました。
飲用・調理には使えませんが、断水状態のなか、ある程度まとまった水があるというのは非常に安心でき、有り難いことでした。
特に使えなくなった水洗トイレ。使用後に少し流すだけでも何とかなりました。
<2020/01/16追記。トイレの配管が破損している可能性もあるため、水を流すのはよくないそうです。特にマンションは階下に水が漏れる可能性もあるとのこと>
この経験が忘れられないのです。なので今でも夕方近くまで前日の風呂水を抜かずに置いています。あれから24年の間にその風呂水が活躍したことはあったか?と振り返ると、ないんですけどね。でも私にとってはもうおまじないのようなものです。
結果、我が家のバスルームには「水分のない、乾燥している時間」というのがすごく短いので、カビの発生に除去作業が追いついていないように思います。
すぐに水を抜いて乾燥させているバスルームに比べると、目地の黒カビが多いのではないかと思います。残念ですが、仕方がない。
オール電化にはしたくない
当時住んでいた地域では、幸いなことに電気はすぐに復旧しました。ガス、水道の復旧には1ヶ月以上かかりました。
だからガスよりも電気のほうがいいのかもしれませんが、それは私が経験した被災の形にしか当てはまりません。
ライフラインは複数持っておくべきだと思っています。
<2020/01/16追記 「ライフラインは複数持っておくべき」という考えは変わりませんが、今やガス機器も電話も多くが「電気」が止まれば使えない仕様になっています>
キッチン家電を導入しすぎない
すごく効率のよさそうなキッチン家電に惹かれつつも、あまりたくさん導入したくないという気持ちが強いのは非常時に戸惑わないようにしたい、と思うから。
震災当時、若い私は電気炊飯器がないとご飯は炊けないと思っていました。それが情けなかったというのが、現在も「土鍋炊き」を続けている理由のひとつです。
震災ではガスが止まり、電気は使えましたから「ガスコンロは使えずキッチン家電は使えた」という状態なのですが、どちらもダメになった場合でもなんとかできるスキルを持っておかないと、と思うんです。
カセットコンロと数本のガスボンベ、これも欠かしたくないアイテムです。
数年前に知った「イザメシ」というちょっとリッチな非常食シリーズ。かんたんに食べられ、とても美味しい。不便な暮らしが長引いたとき、こういう非常食があると少し心が落ち着くように思います。お中元やお歳暮に贈ったりしています。海外に長期滞在する人への贈りものにも。
単品、セットなどいろいろな商品があり、手元に置いておくといざというときに安心。ギフトセットもあります。普通に美味しいので普段のおかずとして開封してしまう危険性が高いのが問題。
キャンプに行く
年に1度はキャンプに行くのは、我が家の楽しみであるのと同時に非常時の備えでもあります。使える状態のキャンプ道具が揃い、家族が使いこなせていたら、災害時にきっと役にたちます。
ランタン、シュラフ、コンロ、たき火台、テント、ポリタンク。アウトドア用品は非常時に役立つものばかり。
こちらのランタンはアルカリ乾電池で使えるモデル。発光パネルが取り外しでき、USBポート付き。
ガソリンランタンもあると心強いかもしれません。キャンプでは音と炎の色に癒されます。
こどもに電話番号を覚えさせる/有線電話をひいておく
自宅の電話は震災後、つながったり、つながらなかったりと不安定でした。そんななか、近くの商店の前にあった公衆電話は、よくつながったんですよね。自宅の電話がつながらないと、小銭とテレホンカードを持ってこの公衆電話に向かいました。
当時と今とでは通信環境は劇的に違いますが、それでも公衆電話はまだ近所でも見かけます。いざというときに使えるように、小さい頃から両親の番号を覚えておいてほしくて、こどもには番号を押してかける習慣をつけさせました。家の電話で私のスマホにかける、ということをさせるとけっこう喜んでやってくれました。
スマホがあれば家電(いえでん)はもう不要な気もしますが、万一のときに連絡手段も複数持っておきたいという考えです。
間もなくこどももスマホを持つようになりそうですが、スマホケースにはテレホンカードを入れておいてもらうつもりです。
年代もののテレカ。当時はもらう機会がけっこうありました。結婚式の引き出物にオリジナルテレカ、とか。あとは読者・視聴者プレゼントとか、アーティストの販促ノベルティ。値打ちが上がるかもね、なんて言ってしまっていましたが、そんなことはもうなさそうです。でも万一のときには活躍してくれるはず。
◆つらいことの中でキラリと輝く思い出。ちょっぴり楽しかったこと
幼なじみとのおしゃべり
小さいときに遊んだ幼なじみやその兄弟たち。成長するに従い進む道は違い、忙しくなり、ほとんど顔を合わせることもなかったのに、震災後の数週間はよく会いました。空いた時間におしゃべりをしたり、一緒に飲用水をもらいに行ったり、買い出しに行ったり。幼なじみのご両親とも久しぶりに会って「大きくなって!」みたいなことを言われたり。癒される時間でした。
ご近所さんとの交流
ご近所さんたちの助け合いや声の掛け合いも印象的でした。給水情報を知らせてくれる町内会長さんや班長さん。「水がたまってお風呂が入れられたから」と、祖母を誘ってくれたお隣さん(復旧後の水の出具合は、家によって大きな差があったんです)。こどもたちが自分のことばかりに忙しくしていた間も、年配の皆さんはご近所のコミュニケーションを欠かしておらず、それが災害時に役立つということになりました。
◆もし、今あんなことが起きたらやっておくべきと思っていること
撮影(記録)
いや、撮る暇などないんです。安易な気持ちで撮るべき状況ではないようにも思います。でも写真や動画は、後々、説得力のある貴重な記録となります。
今や、メモを書くように写真が撮れる時代。どんなふうにモノが崩れ落ちたか、どんなふうに食事を作ったか。そんな記録をできる範囲で残すべきと思っています。
◆職業について思ったこと
公務員という仕事について考えさせられた
今は亡き父はそのとき、地方公務員でした。公務員は自然災害などが起き、地域のひとが困難に遭遇しているとき、そのひとたちのために働かなければならない職業なのだということを思い知らされました。家族より、市民のために。
公務員は安定していていいというのはいつの時代も聞きます。父は自分の仕事のことを「つまらん仕事」と言っていましたが。収入、安定、イメージ…いろんな見方ができるでしょうが、非常時には自分や家族を犠牲にして働かなければならない職業でもあるのですよね。
公務員のほかにも、そういう職業はあります。
こどもが将来どんな道に進もうかと考える時がきたら、安定や収入のよさも大事だけれど、このあたりのことをよく考えてほしい。そう思います。
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