◆運
最近、「運」についてよく考えます。
この世の中、理屈の通らない「運」というものが支配しているよなぁ…と最近ものすごく強く思うんですよね。
*
9月上旬の台風で、我が家はちょっとした被害を受けました。ひどい台風でしたが被害にあったのはこのあたりでは我が家とお隣さんだけ。
なんで?
考えても答えは出ません。「運が悪かった」としか言いようがない。
でも、その被害が「深刻な被害」や「身体にも被害を被った」ではなく、「ちょっとした被害」で済んだことも、考えれば考えるほど「運がよかった」としか言いようがありませんでした。
先日ノーベル医学・生理学賞を受賞された本庶佑先生のコメントにも「幸運」という言葉がよく登場したのがすごく印象に残っています。
〜私は昨日すでにインタビューをして、昨日急にこういう事態になったので、そのことに関していくつかのことを申し上げましたが、その後ちょっと落ち着いていろいろ考えてみますと、私は本当に幸運な人生をこれまで歩いてきたと言わざるを得ません。
〜さらに1970年代に、遺伝子組み換え技術の開発が進んで、その後はDNAシーケンスから遺伝子のノックアウトなど次々と生命科学の革命的な展開の中で、私自身の研究・好奇心を追求する道が非常によくマッチして今日まで来たということで、昨日も言いましたように、私は本当に絶望的な、もう駄目でやめようかと思ったことは一度もなかったということで、本当に幸せ、幸運であったと思っております。
引用元:http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/history/honor/award_b/nobel/2018/181001_b_3.html
幸運と努力の掛け合わせなんだなぁ。。と思いました。
一方、最近見かけたこちらのツイートでも。
スティグリッツ論考も、青山児相への反対も、先日の論争でも思うけど、一部のお金持ちたちは自分たちが幸運だっただけなのに(努力する力、学習機会等)、傲慢すぎやしないかな。たまたま日当たりも水も土壌も申し分ない場所で育った大木が、そうでない木に対してイキっているのに似た滑稽さを感じる。
— Taejun Shin / 慎 泰俊 (@81TJ) October 19, 2018
ああ、確かに人間産まれたときから「運命」を背負っている、と思いました。
心理学ブロガー・ねこひげ先生 @dr_catwhisker はこんなツイートを。
運がいい人は必ず、地道な努力を重ねている。成功した人が言う「運が良かっただけです」という言葉の意味は「たまたまうまくいった」ということではない。「自分にできることはやり切った、その結果がどうなるかは天に任せた」という意味なのだ。やるだけのことをやり尽くした人こそが運を味方につける pic.twitter.com/45hjImQ8Fi
— ねこひげ先生🐾心理学ブロガー(Mr.NEKOHIGE) (@dr_catwhisker) August 3, 2018
得体のしれないものだから、いろいろな捉え方ができる。こんなふうに考えると前向きになれますね。
あと、最近どこかで見聞きした…正確な内容とソースを忘れてしまったのですが(もしどなたかご存じの方がおられたらぜひ教えてください!)
「運」というのは不公平なもののように思うけれど必要なものである。もし「運」というものがなかったら、成功者はすべて自分の実力であるとおごり高ぶってしまう。敗者は自分の努力を全否定しなければならなくなってしまう。
…というような内容を聞いて、これまた自分の中にずどんと重く刺さっています。
運。
ちいさな運、大きな運。
あなたは気にしますか、気にしませんか?
私は最近、ものすごく気になります。
うまくいかなかったら運のせいにする。
うまくいっても運のお陰にする。
で、それだけじゃなくて、やるべきと思ったことは精一杯やる。
その積み重ねがわたしの人生。
なんてことを思ったりします。
我が家のウンベラータ。今年の夏はすごーく伸びました!