ちょうどよくて、ちょっといい日々。

主婦/母親の管轄って果てしなく広範囲ですよねぇ。。。「カエデノオト」の別館です。

娘のことに触れるときに、「我が子」「うちの子」などと表記する理由


◆女子であることをあらわす必要はないかな、と思うように

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いつぐらいからかな?
ブログやツイッターでこどものことに触れるとき、性別がわかるように表現することをやめました。

対面で会話をする時などで、相手によっては「娘が」と言うこともありますが、それは自分の意志とは別の理由で「夫」「主人」「ダンナ」を使い分ける、というのと似た感じがあります。しかしよく聞くようになった「パートナー」というのには慣れないな…
なんででしょう。

我が子に影響されている、としか言いようがありません。

◆小さい頃は「ふつう」の女の子だったけれど

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小さい頃は、普通〜に女の子でした。
「わかりやすく女の子だった」というほうがいいかな。

三つ編みなどしてあげると「うふっ」みたいな表情をしたし、保育園時代はネイルに興味を示して、休日は「塗って」と言ってきたりしていました。

「コツコツいうくつ(=ヒールのある靴)」を履きたがり、ピンクが大好き。

が、小学校の高学年の頃からか、服装の趣味がどんどんシンプルになっていきました。
友達は早々にメイクやアクセサリーに興味を示しはじめたのに、うちの子は全く興味なし。

LINEの壁紙やアイコンも、友達はピンクのハートが飛び交ったりしているのに、我が子はどこかから見つけてきた不思議な標語を載せていたりとか。

なーんか、ちょっと、女子っぽくない子だなぁ。

そう思いはじめて、ふと、気付いたんですよね。

「そもそも、女子っぽいとかって、誰が決めたこと???」

◆世の中の「女子っぽい」のおかげでいろいろと大変、とくに服

-本人の感性にぴったりとはまる服がない

「女の子ってこういうのが好きなんだよね」という価値観のなかで作られたティーンの洋服たち。

リボン、ラメ、フリルはいらないのに。
肩のスリットもいらない。スカート短すぎ。パンツ細すぎ。
服がない…気に入る服がない…

「なんで女子の服ってなるとこういう余計なものがつくのよっ!」
「なんで違う店に行っても同じデザインの服ばっかりなんよっ!」

と怒り出す始末。

試行錯誤のすえ、服の購入先はユニクロのユニセックス、イトーヨーカドー・ZARA・H&Mのボーイズに落ち着きました。

特にZARAのボーイズとは相性がいいみたいで、確かにうちの子が着てもけっこうかわいい。

-セーラー服がすごく嫌

こどもの通う中学は女子がセーラー、男子が詰襟です。
採寸や入学式の日はなんだか嬉しそうでしたが、それはおそらく「中学生という新しい自分」「制服という新しいアイテム」にときめいていただけなんだと思います。

今はとにかくイヤだ、スカートを履くメリットはなんなんだ、と嘆いてばかり。

「ブレザーだったらなぁ…」

隣の中学校はブレザーで、女子用のスラックスがあるんですよね。

-過ぎ去ったことですが、小学校の副教材のデザインに困った

裁縫道具、彫刻刀セット、書道セット。
家庭科で作るエプロンやバッグの材料キット。

カタログを渡されて、その中から好みのデザインのものを選ぶのですが、、、
男子向けも女子向けも、極端すぎてコレというのがない!

検索したら出てきました。これこれ、こういうの。

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時期になると常に話題になりますよね、このデザインたち。
これに困っているのはみんなかな^^;

◆保守的な自分が変わってきた

こんな感覚の娘を持ったことで、

世の中「○○ってふつうこうだよね」という誰かの価値観によって、いろいろなモノ・コトが作られ大量生産されているんだな

ということに、あらためて気付くことができています。

そして、そんな彼女を見ていて

「なんでこの子は普通に女の子らしくないんだろう…」

と嘆くのかな私、と思いきや、

悪くないな、らしくていいやん、

と思っている自分がいるのです。
付き合っていると、面倒臭いけれどおもしろいと思う。
自分でもすごく意外。

ここまでの私はかなり保守的で、それこそ
「ふつう、こういうのって、こうやんか」
みたいな「ふつうは、の枠」を作って物事を考えてしまうほうでした。

夫は世の中から見ると一般的ではない仕事をしており、そのために働き方も一般的ではありません(これは事実)。

なのに、休日の過ごし方とか、育児への関わり方などについて

「ふつうはこうなのに、ウチはなぜそうできないのか」

みたいな不満を常に抱えていて、それが夫婦喧嘩の火だねになっていました。

夫婦ふたりだけの時はよかったんですが、こどもができると途端にいろいろな問題が噴出しました…これはまた別の話

これは、「ふつうではないワークスタイルの夫」に「世の中のふつう」を当てはめようとしていた私のミス。

でも、わからないことや抱えている問題について、解決策を求めるとどうしても「一般論」を知るところからはじめることになります。というか私はそうなっていました。
なりません…?

その、一般論っていうのは、なにが基準?
だれがどういう状況で言ってること?

冷静になってそういうことを思えるようになったのは、娘の「同級生の女の子たちとはちょっと違う感覚」の影響です。

◆こどものおかげで次々に「新しい扉」がひらく

「(女)らしさ」ってなんだろうな、みたいなことを思うようになり、

あぁ、メディアに出ている「女性」「男性」って、もしかしてそれぞれ「異性の目」を無意識に意識して作られているのかもしれないな、だからみんな似たようなかんじなんだな、

みたいなことを思うなど(ほんとのところはわかりませんが)、これまでの自分の人生で「?」と思ったことのないようなことに立ち止まり、考えるようになりました。

我が子が、私の前に新しい扉を次々と置いていってくれるかんじ。

おもしろいなぁと思います。

-今気になっているのは、2年後の高校受験。

たぶん、「制服」は高校選びの大きなポイントになるはず。
高校の見学や文化祭に行くと、いつもは引っ込み思案なくせに必ず聞くのです、関係者に。

「女子の制服にズボンはありますか?」

うん、あるよー、とすぐ返ってくる高校もあれば、
え、女子にズボン…?と戸惑う高校もあり。

そんな反応を見れば、その高校のカラーも何となくわかります。
たぶん後者の高校は、うちの子が行っても落ち着かない場所なんだろうな、と見当がつきます。

それは偏差値よりも大事な、学校を選ぶ目安なのではないかと思ったりしています。

その先、大学受験、就職、転職、結婚、さまざまな人生の節目でも。

「ネームバリュー」「難易度」「人気ランキング」「高収入」「世間体」

そんな、「ふつうは気になる目安」は横に一旦置いて、
ここで自分が一番大事にしなければいけないことは、なにか
それをしっかり考えて欲しいなと

たぶん、彼女はかなり冷静にそれができるのではないかと思うので、私(と夫)は

それを黙って見守る親になっていたいなと思うのでした。

-もちろん、自分自身のことだって。

こどもに関することだけではありません、もちろん。

自分の人生の後半の生き方、家族のありかた。

そういうことについて考えるときに

「ふつうは、こうだよね」

とまず思うことをやめてみようと思う、今日このごろです。

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